『あの本屋のこんな本 本屋本書評集Ⅰ』(雅子ユウ)から『大海原』の書評を抜粋して掲載しています。
『あの本屋のこんな本 本屋本書評集Ⅰ』
著:雅子ユウ
出版:H.A.B
本体:900+税
判型:文庫版、無線綴じ並製、84P
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「本屋の本を読む。」
ただただ本屋について書かれた本を読み、それを紹介した書評集。といいつつ本屋の定義は曖昧で、取次など流通関連の本も多く収録。著者の守備範囲から、ISBNの付いていない昭和の本も発掘した本を売る人の本を読む本(Book of Bookstore's Book)第一弾。
『大海原ーさらなる発展に向けて』
社史である。社史は大好きだ。
太洋社は最盛期には業界第五位に位置していた取次であり、同四位だった栗田出版販売と並んで、戦時中の日配=国策会社から派生していない取次として最大規模まで成長したことに加え、栗田が戦前から取次業を営み、創業者が日配でも要職を担っていたのに対して、太洋社は戦後、学徒動員から復員したばかりで業界どころか社会経験も全くなかった若者が作った会社であり、今風の言い方をすれば、「独立系取次」の代表格であった。本書は、その創業五〇年を記念して一九九六(平成八)年に出版された社史であり、事実上、出版前年に逝去した創業者・國弘直の一代記となっている。
國弘は戦後まもなく、友人二人と共同で各々の蔵書をベースに古本を販売する三友社という組織を作る。活字が、兎にも角にも求められた時代だった。事業の拡大とともにその安定を図るため、國弘は新本の取次事業に目をつける。全く取次業の経験はなかったが、戦前は香港で事業を営んでいた父親の支援と、早稲田卒という学閥の繋がりで仕入先を増やすことができたようだ。
運命を分けたと思われるのは、太洋社が雑誌の販売に注力したことだ。都度、部数も売上も異なる書籍よりも、毎回定期的な売上が見込める雑誌のほうが経営は安定する。ましてや戦後、雑誌の売上は意欲的な企画や新創刊により、うなぎのぼりに上がっていった。日本の主要出版流通は戦前から雑誌中心であり本来であれば大企業が牛耳るジャンルであったのだが、戦後の再編でチャンスを得た。そもそも新興出版社も、したがって新創刊の雑誌も多かった。新興出版社、雑誌が同じように熱心に売ってくれる新興取次、書店を頼る。今にも通じる感覚だ。
それでもベテラン揃いの分野に参入していくことには大変さが伴ったと想像できるが、ツテのあった北陸に関連会社を作り販売先を開拓するなど、新しく雑誌を扱いたいという中小書店、あるいは古書店や貸本屋からの鞍替えの需要をすくい上げていったようだ。結果的に太洋社は雑誌も書籍も扱う取次として、業界上位に位置するようになったというのは冒頭に書いた。掲載された売上高のグラフは五〇年連続で、前年比を超えている。時代の要請もあったのだろうが、見事な成長だろう。
本書のもう一つの魅力は掲載された写真だ。昭和三〇年代のオフィスや、山と積まれた本の間でざら紙と荒縄で縛りながら本を梱包する社員、昭和五〇年代のカゴをもった書店主の行列ができる店売所。これは社史特有なのだけれど、社員旅行や会社のイベントで笑顔を向ける社員。みんな若く、力強い。是非とか時代の評価とかは一旦おいておいて、戦後創業した中小企業のエネルギーがそこには確かにある。一九七三(昭和四八)年に建った新社屋に関連する写真がまとめられている頁がある。披露パーティでは硬い表情で挨拶をしている國弘だが、その隣には、社員とともに建築現場を視察したときの写真が掲載されている。片手をズボンのポケットに入れ、胸を張りカメラに笑顔を向けている。本音は随分と誇らしかったのではないか。創業二七年、國弘五一歳のときだ。
二〇一六(平成二八)年。太洋社は自己破産する。もし大手書店との取引があれば? いやいや、最初から雑誌ではなく書籍メインで身の丈にあった商売をしていれば? そんなことは言ってもきりがないが、そこで多くの人々が一生懸命働いていたという事実は、いまでも、いつまででも輝かしい。その記録が本になってこうしていまに残っている。だから社史は大好きだ。
なお、本書の表紙は一九七三(昭和四八)年に建てられた社屋の記念図書カード(著者私物)である。自己破産前に一度移転しているので、記載された年号は本社の使用年であるのでご注意を。ちなみに現在同地には別のマンションが建っている。
『大海原―さらなる発展に向けて』
著:藤野邦夫 出版社:太洋社
ISBN:なし 発行:1996/12/20
初出:H.A.Bノ冊子八号